「ストレス発散」という言葉・本質
よく、ストレスを発散するために趣味に打ち込む、だとか、運動をするだとかいう人がいる。それを「ストレス発散」といった言葉で表現されることが多いと思うが、要はストレスなんてものは忘れてしまえばよいのである (ストレス発散という言葉からはピンとこないが、目的はストレスを忘れることである)。ストレス自体なんて、覚えておくだけの価値のないことである。ストレス源とはまるで関係の無い分野に打ち込めば自然と忘れやすくなるのではないだろうか。せめて、ストレスを感じている時の感情だけでも忘れられれば。打ち込むものがない人は、食わず嫌いせずに新しく適当に何かを始めてみると良いかもしれない (意外と進めている内にハマってしまうものだ)。
脳天気になる
「スルー力」という言葉で表されているものも、本質はこれと近いのかも知れません。ストレスなんて、そもそも感じなければ何でも無いものです。馬鹿・鈍感でいる方が楽です。あと、ストレスになりそうなことには自ら近寄らないのも「スルー」の一種かもしれない (避けられるならば、という条件付きだが)。目先のことだけ考える
「(ストレス源) は、こういう所が嫌だから」とか、「次の (ストレス源) も、さぞかし大変なのだろう」、などといった余計な事を考えず忘れよう。とにかく目先の目標に向かって、何も考えずひたすら直進することが重要。あと、完璧にこなそうとか言う考えも忘れて良いかもしれない (ベストエフォート型の方が自分のペースでできるから楽だ)。笑顔を増やす
笑顔を作ることで、どうやら「嬉しい」と脳みそが勝手に勘違いしてくれるようだ。やってみよう。嫌なことでもやらなければならない場合
その「やらなければならないこと」が継続的なものだったとしても、そんなことは一回忘れて、常に「今回一度だけやってみよう」と考えるのが良い、というのが最近私が発見したことである。そうすれば、「一回だけなら出来る (やってもいい) かも」という気分に不思議となれる。こうして、余計なことを一切考えず切り捨てることが必要なのである。同じことを次にやるときも、「一度だけやってみよう」とまた考えるのである。前回やった同じ仕事をできるだけ忘れてしまうのも手だ。コンピュータで例えるなら、主記憶装置 (RAM) の中にデータを貯めこまず (大食いせず) 綺麗に空けてある状態だ。もっとも、昔の計算機だってメモリの容量が少ない中で色々処理していたのだ。
「やらなくちゃ」という義務感を忘れて、発想を変えて敢えて「やってみるか」という軽い気持ちで取り組んでみるのも有効なのではないかと。新しいことを思いついたような気持ちで、選択の自由がある中を自発的に選んでみたようなつもりになれる。
まとめ・その他
この記事内で挙げられていることから共通する要素を出してみるなら、「敢えて考えずスルーする」という考え方に尽きる。プラス思考と言う考え方だって、やり方にも依るがストレスと言う感情をスルーすることにつながっていると思う。上で挙げられたことは、見方によっては根性論にも見えなくはないが、決してそういうものではないのだ (そもそも私自身、慢性的に根性論を用いるのは嫌いである)。根性なんて無くても上に書いてあることは多分できる (私が言うのだから間違いない w)。
上の「ストレス発散」の手段が飲酒になっている人も少なからず (学生でも) いると思うが、それだけに頼らなくて良いように (過度の飲酒は体に悪いし)、ストレスとつきあう手段を多く持てるようになれば嬉しい。
仕事をしたり議論をしたりするときは、上に書いてある「スルー」や「目先のことだけ」は良くないことかも知れないが、日常の自分はそれとは別である。仕事は仕事、プライベートはプライベートと割りきって頭のスイッチを切り替えることもありである (一本気な人や日常的に議論好きな人ならなかなか思いつかない発想かもしれないが)。
もともとの私は、上記の「ストレス発散」や「スルー」の手段として睡眠することで対処していた。だが、朝になって「起きたくない」とか思ってしまえば生活習慣にも影響を及ぼしかねないし、現実逃避にもなりうる。ストレス対策をシステマティックに考えられるようになると、見えてくる世界が増える (ここでは睡眠以外の手段を得られるということ)。良いことだ。
自殺が多い地域の人って、ストレスの対処がうまい人がいるよね (身近では新潟とか東北日本海側の人とか。それが生きていくための手段かもしれない?)。そういうところでは、「ストレス一日清算主義」(翌日に繰り越さない) という考えを持つ人もいるようだ。
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