2010年7月11日日曜日

物事を考える視野

「人間の思考は、その人が見てきた物事の範囲で行われるものだ」と、誰かが言っていた気がする。
何かを考えたり議論したりするときには常に、この言葉を頭の片隅に入れておきたいものだ。

自分が知らない世界というのを想像して考えると、確かに考えなければならない量が格段に増えて収拾がつかないことになる。だからといって、あからさまに自分のわかる世界だけ見て何かを議論しようものなら、見通しの良い思考ができるかもしれないが、他のものを見ている人に「こいつ、わかってないな」ということを思われかねない。そう言うのは見ていて痛い。


自分の知らない世界の人について。

お金持ちな政治家は社会的立場の低い人、貧しい人の感覚なんてまず知らないだろうな、と思ったことがある。
同様に、人と接するのが得意なだけの人は人と接するのが苦手な人の気持ちなんて分からないだろうし、ただ頭が良いだけの人が頭が良くない人の考え方なんて知らないだろう。逆も然り。お互いに住んでいる世界が違いすぎる。ただ、どれも分かれば強みになりそうなことばかりだと思うんだけどなー。


ひとつの大学の中にこもっていると、学生の数こそ何千何万と多いものの、みんな大体近い雰囲気や考え方を持っていると感じてしまう。ましてや村社会の強い地域で育った学生が多ければその傾向は顕著だと思うし。それらの考え方が自分と違おうものなら苦痛にもなりうるんだよね。

少しでも自分の知らない世界を知るためには、例えばガリ勉とギャル男な人が友達になってみたら面白そうだな、とか思ったこともある。もっとも、そういった人同士が釣り合うためには、互いに相当の視野の広さとコミュニケーション能力が問われるだろうし、また、非現実的かもしれないが。

なんだろうな、そういったコミュニケーションを成立させるためには、「良い意味での適当さ」が必要なのかも。だから、気難しかったり、何でもかんでも strict に、厳格に物事を決めたがる人には難しいのかな。いかんせん、うちの大学にはそういう学生が多い気がするが。


...。また、まとまりのない記事のできあがりぃ w まぁ、無理やりこの記事の内容をまとめるなら、
「いろんな人と接しておけ」
ってところかな。あと、「住む場所を変えるのもあり」だと思う。茨城⇔新潟、とか w (互いに両極端過ぎて疲れるんだけど orz)

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