2010年7月22日木曜日

迷言4連発

自信がないということは、周りから何かを吸収する余地があるということであり、後で自信家になる可能性を秘めている

自信がある時というのは、自分でどういう時に何をすればいいかを把握しているとき。自信がない時とは、その逆。と言うことがよく当てはまるのではないかと思っています。
ただ、自信がないということは別に悪いことではない。そういう時って、周りの人達を見回すと、すこーしずつパターンが読めてくることがあります。また、自信がないことを自覚しているからこそ理論的に分析できたりもするのです。

人って、実際に周りの人の行動を見ることで何かを習得していくものなんですね。赤ちゃんが言語を習得する過程がわかりやすい。「芸術は模倣から」って言う人もいる。「付和雷同」と言う言葉がありますが、実はそのような人の行動パターンを考えると、一概に付和雷同が良くないこととは言い切れないなって気もします。とはいえ、いつまでもひたすら人と同じことばっかりやろうとする人を僕は嫌いですけど。。

まぁ、いろんな人と出会うことで自分自身の経験値が稼げるといいですね。

興味のない分野は後に取っておくためのお楽しみ

知っている先輩の中に、何にでもすぐに興味を持ってしまうスゴい人 (マルチオタク、スーパーオタクって言えばいいのかな) を何人か知っていて、そういう人と自分を比べると、劣等感を感じてしまいます。が、興味を持たないと言うことは別に必ずしも良くないことではありません。
興味がないということは、その分野に後で興味をもつようになる可能性があるということです。そして、後から興味を持つようになった分野って、なんか不思議と楽しいものです。
かくいう私も、まるでポケモンには興味がなかったのにある時からハマりだしたりとか (小学生の時です)、アニメ (テレ東や関東の独立 U 局で放映されているようなやつ) が嫌いだったのに、今では普通にハルヒとか平気で見てたりとか、ボーカロイドの声質を邪道とまで思ってたのに今では大好きだし ww
まぁボーカロイドの件は、もともと好きで聴いていたテクノなどのシンセ系の音楽に通ずることに気づいたからで、ちょっと事情が違うんだけど。


優等生だって落ちこぼれになりうるし、落ちこぼれだって優等生になりうる

あると思います。要は発想の転換次第でどうにでもなるということです。
出来る人と出来ない人の差ってのは思考の違いによるものが殆どだろうという考えです。計算機に例えるなら、ソフトウェアの違いしか無いよってこと。同じ P4 1 GHz/RAM 256 MB の計算機が2台あったとして、一方に Win98, もう一方に WinXP を入れてご覧なさい。全然違うであろうことは想像に難くない。

ただ、落ちこぼれになりやすい人の特徴って言うのはあると思います。
アグレッシブ、アクティブに突き進んでいく人 (active) ならば、周りに優秀な人が沢山いる環境でもどんどん這い上がっていくだろうし、受身キャラ (passive) な人なら周りに圧倒される一方で行動を起こさずに沈んでいくと思う。私はもともと後者。そういう人は、1つ上の解説みたいに、優れた人をいっぱい見て何かを吸収することで自分の頭の中のソフトウェアを書き換えていけば良いのだろう。そういえば、passive という単語には受動的という意味の他に「おとなしい」という意味もあった。そうか、本質は一緒なのか、、

自分の身近でも、おとなしい人ほど成績が悪いって言う傾向があって、ちょっと可哀想だと思ったことがある。真面目そうなのにっていう。

人生は、ネタだ ! w

これもある意味発想の転換。やったモン勝ち (人に迷惑をかけない範囲で)、残念な人を演じたもの勝ち。
ストレスに弱い人が真面目に本気で生きていたところで、辛い以外の何者でもありません。そんな時は、何でもネタだと思ってしまえば気持ちが軽くなるのではないかと思います。少なくとも、自殺してしまうよりはよっぽどマシだ。
一番重要なのは自分自身がストレスに対してどれだけ強いのかを把握すること。ストレスに弱いなら、それなりの対処が必要だ (<- 私自身に対する戒め)。ただ、周りを見ると、みんな自分よりもストレスの発散が上手いので見事と思わざるを得ない。
私の身近では、ふざけ半分で宗教団体を転々と入信してみた人がいたが、これも見事だ (周りにはその人を馬鹿にしている人もいるが、わかってないなー w)。残念な人に成り下がるぐらいじゃないと、ストレスが溜まってやってられませんよ。

但し、本当にこんな考え方をしても良いのかと自分自身疑問なので、この考え方を取り入れるかは保留。

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